
2025.9
働き方改革の波から始まった老舗湯宿のDX
効率化の先に描く顧客価値向上とSDGs
株式会社御所坊
代表取締役 金井 啓修 氏
平安から鎌倉へと時代が変わろうとしていた1191年に創業し、有馬温泉最古の湯宿として知られる御所坊。近年は複数の宿泊施設や飲食店、ギャラリーなどを運営し、地域活性化にも力を入れる。そんな老舗も人材不足と働き方改革の波に直面し、積極的なデジタル改革で経営スタイルを進化させている。その極意を代表の金井氏に伺った。
長時間労働が離職を招く悪循環
訪日外国人観光客の増加で需要が拡大する一方、深刻な人材不足に悩まされてきた宿泊業界。有馬温泉で830年の歴史を誇る御所坊も例外ではなかった。そこへ追い打ちをかけるように押し寄せたのが、働き方改革の波だ。
「御所坊でも、もともと働き手が少なかった上に、離職率の高さに悩まされていました。その状況で労働時間短縮と賃金アップという相反することを求められるようになり、普通に考えたら『できるわけない』という感覚でした」と金井氏は振り返る。
特に深刻だったのが調理場だ。旧態依然とした料理の世界には「見て学ぶ」という職人文化が根強く残っており、長時間労働の是正や生産性向上を考える上での障壁となっていた。さらに、成長を実感しづらい環境ゆえに人材の定着も進まない、という悪循環に陥っていたという。「調理場は、上に立つスタッフほど古い教えの中で育ってきたので、意識改革が難しい世界でした。だからこそ、まずは調理場から改革していこうと考えました」。
最新機器の導入で調理場の属人化を解消
調理場の改革にあたり、金井氏が目を付けたのが厨房設備だ。技術の発達した現代では、温度や圧力を制御しながらプロの味を再現する調理機や、味を落とさずに長期保存を可能にする冷凍設備が普及している。補助金を活用しながらそれらを導入し、調理作業の効率化、脱属人化を進めていった。
「設備の導入にあたっては、仕事のフローが変わることを現場に納得してもらう必要がありました。そこで、実際に最新機器を導入して高品質な料理を提供している飲食店にスタッフを連れて行き、実際に味わってもらいました」。
金井氏のトップダウンで進めた改革だが、「何を、どのように、何のために変えるのか」を現場に理解してもらうステップを踏んだことがスムーズな導入につながったといえる。その後、実際に調理場では離職が減少し、特に女性の調理スタッフの定着率が上がっているという。
顧客満足と業務効率を両立した顔認証システム
調理場に続き、金井氏が目を付けたのがフロントでの宿泊客対応だ。フロントには「客室のスマートキーを開けるための暗証番号を忘れた」など、さまざまな相談や問い合わせが日々寄せられる。スタッフは交代勤務のため、宿泊客の顔と名前をすべて把握するのは難しく、フロントに相談が寄せられるたびに客室と名前を確認して対応にあたっていた。
「同じお客様に何度も名前を聞くのも失礼ですし、お客様がフロントに来てから対応するので、どうしても動きが一歩遅れてしまいます」と金井氏。そこで導入したのが顔認証システムだ。玄関と廊下に顔認証カメラを設置し、フロントで宿泊客の動きをモニタリングできる環境を整備。スタッフは「誰がフロントへ来るのか」を事前に察知して対応できるようになった。
「このシステムがあれば、外出されるお客様の履物を事前に用意しておいたり、食事の時間なら食堂へ案内する準備をしたり、先回りして動くことができます。お客様も喜んでくださり、それがスタッフのモチベーションを上げる相乗効果につながっています」。
在庫データの共有で食品ロスを削減
御所坊のDXは、バックオフィスの負担軽減においても成果を生んでいる。宿泊施設でよく見られる課題のひとつに、追加の飲食や物販などで発生した会計の管理がある。御所坊でも、以前は追加の会計をPMS※(ホテル管理システム)に手作業で反映させる作業が発生していたが、新たに導入したクラウドPOSレジとPMSを連携させ、自動反映を可能にした。
さらに同社はこのシステムの活用の幅を広げ、食材の有効利用の道を模索しているという。御所坊は有馬温泉内に複数の宿泊施設と飲食店を持つ。一方、インバウンドの拡大に伴い、食事へのリクエストは多様化している。そこで同社は複数店舗の食材の在庫をクラウドで一元管理し、食事へのイレギュラーなリクエストにも効率的に応えられるようにした。
「海外のお客様にはヴィーガンやハラルフードが必要な方もいますし、ハンバーガーが食べたいというお子様もいらっしゃいます。店舗間で食材を共有できれば、それらの要望にも素早く対応できる上、食材のロスも減らすことができます」と意義を語る。
調理場の改革に向けて導入した最新の厨房機器と、クラウドシステムで効率化した食材の在庫管理。これらを発展させ、御所坊では多様化する食ニーズへの対応と、食材の有効活用をさらに模索していくという。
※PMS(ホテル予約システム)
宿泊施設の予約や顧客情報、売上を一元的に管理するシステムである
マジシャンになろう
「そろそろ、経営を後継者に引き継ごうと思っている」と話す金井氏だが、今も生成AIを活用した改革を模索するなど、事業の変革に貪欲な姿勢を見せる。そんな金井氏がDXを推進する上で呼びかけてきたのが「マジシャンになろう」というキャッチフレーズだ。トップダウンで物事を進めながらも、現場が楽しめる形にすること、改革の成果が「お客様の喜び」という形で現場に返ってくる流れを作ったことが、成功の秘訣といえるだろう。
アドバイス
弊社が導入したデジタルツールは「手品のタネ」でしかありません。大切なのはツールを活用してお客様に喜んでいただくための「見せ方」です。お客様が喜んでくだされば、スタッフのモチベーションも上がり、さらに良い見せ方を考えてくれるようになると思います。そのような好循環を生み出していくことが大切なのではないでしょうか。そして、経営者自身が「新しいものを生み出すことを楽しむ」という姿勢を持つことも忘れてはなりません。
神戸市モデル/中小企業DX推進チェックシート
※神戸市モデル/中小企業DX推進チェックシートを基に、株式会社 御所坊の取組を整理いたしました。実際の取組内容をヒントに、DX推進ポイントを踏まえながら、自社のDX推進にお役立ていただければ幸いです。
株式会社 御所坊 | ||
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01 | ビジョン・ ビジネスモデルの策定 |
・人材不足解消に向け、働きがいと生産性が向上する組織風土を構築する。 ・「マジシャンになろう」というスローガンの下、お客様に喜びと感動を与えるためにスタッフ自ら創意工夫する土壌を作る。 ・デジタル活用を通じた食材の有効活用を可能にし、SDGsに貢献。 |
02 | ビジョン達成のための 全体戦略の策定 |
・調理場の長時間労働の是正と脱属人化に向け、最新の厨房設備を導入。 ・デジタルツールを「手品のタネ」と位置づけ、積極的なデジタル化によって現場の業務改善と顧客満足の向上をめざす。 |
03 戦略の 推進 |
①組織の視点 | ・経営トップの主導で導入するツールの選定や導入計画を推進する。 |
②人材育成・確保の視点 |
・現場にDXへの理解を浸透させるため、先行事例をスタッフに体験させるステップを設ける。 ・DXが顧客満足につながることでスタッフのモチベーションが高まる好循環を生む。 |
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③デジタル技術の活用の視点 |
・温度や圧力を自動制御する厨房機器の導入で、調理場の効率化および脱属人化を進める。 ・顔認証システムの導入により、宿泊客対応の迅速化とサービス品質向上を実現。 ・クラウドPOSレジシステムで売上管理の時間短縮、および複数店舗間での在庫管理の一元化。 |
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④サイバーセキュリティの視点 | ・経営者主導で組織的かつ継続的に情報セキュリティの改善・向上に取り組んでいる | |
04 | 成果指標の設定 | ・業務効率化に伴う労働時間などの削減効果を計測。 |
05 | 管理体制の構築 | ・社長によるトップダウンの管理体制で、各部門の責任者と連携を図りながらDXを推進。 |
市内企業への好影響 | ・ものづくり補助金や神戸市中小企業DXお助け隊の支援を受け、モデル企業として他社に知見を共有し地域に貢献。 |
【企業プロフィール】
株式会社 御所坊
本社所在地:兵庫県神戸市北区有馬町858
代表者:金井 啓修
創業:1191年
資本金:1000万円
従業員数:80名
事業内容:旅館業、飲食業、小売業、農業(関連企業含む)
URL:https://goshoboh.com/